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ジェットエンジン
カラーサと言う場所は、石油や天然ガス、鉄鉱石などの出る資源の豊富な地域です。豊富な資源によるバブルで、家賃が高騰。運良く会社が社宅をもっていたので、本当は安くても30万円ぐらいする家賃を、6万円ぐらいで済ませることができました。しかし、問題はひとつ。他のパイロットと同居しなくてはいけない。引っ越す前に、すでに奥さんのお腹に子供がいたので、産まれてからどうするか悩みました。自分たちは良くても、他のパイロットが新生児と同じ家で一緒に生活することができるだろうか。夜中に子供が何度も泣いて、うるさかったら迷惑にちがいない。
なぜ子供が生まれるのを分かっててカラーサまで行くったのか。それは、すでに働いている友達、また、前に働いていた人から、カップルは家を一軒かしてもらえて二人だけで住むことができると聞いていたからです。
この時、右の写真のジェットエンジンでプロペラを回すタービン機のパイロットにならないかと、社長に話を持ちかけられました。でも、資格を取ってすぐに辞めて行かれては会社側も訓練費を損するだけ。条件は、最低でもあと1年はこの会社にいること。家の問題がなければなんともない条件なんだけど、はたしてどうするか。1年この飛行機に乗れば、さらに道が広がる。しかし、この飛行機に乗らなくてもエアラインには行ける。悩みに悩んだあげく、子供が生まれる前にパースに帰ろうかと思っていると社長に伝えました。その理由は家のこと。すると社長が、「じゃあ、他のみんなに聞いて一軒家を貸せるかどうか相談してみるよ」と言ってくれました。期待せずに数日待つと、みんな他に数件ある社宅に多めの人数で入ってくれて、家を一軒私達の為に開けてくれました。ありがたい。そして2006年8月16日、初のタービン機資格を取得しました。この飛行機は、15人のりでまあまあのサイズのくせに、セスナ機と同じぐらいの速度しか出ないトラックのような飛行機ですが、短距離離着陸が得意な操縦が楽しい親しみのある飛行機でもあります。目的地まで時間がかかるからお客さんはこの飛行機を嫌うひとが多かったけど。
この会社はエアラインに人気があり、殆どのパイロットが1年〜2年の間にカンタス航空を含めるエアラインに採用され、移動して行きます。自分もチャンスが回ってきた時にそのチャンスを逃さないように、勉強を始めました。いつ面接に呼ばれてもいいように、「面接に呼ばれたら絶対に受かってやる!」という気持ちで勉強づけの日々。こんなに勉強したのは久しぶりだなあ。
エアラインの面接
2007年5月、そろそろタービン機の資格を取ってから1年が近づいていたので、ありとあらゆる航空会社に履歴書を送り始めました。パイロット募集要項の最低条件の倍以上の、充分すぎる飛行経験があるにもかかわらずなかなか電話がかかってこない。と思ってたら電話がなりました。見覚えの無い東海岸のほうの市外局番。もしかしたら!と思って電話を出たら、私営では一番の大手の国内線、REXという名のエアラインから面接の招待の電話でした。喜んで社長に、「面接を受けに行きたいので休みを下さい」と言うと、社長が、「なんでREXなんかに行きたいんだ?スカイウェストには行きたくないのか?」。スカイウェストは、自分が思うに、オーストラリア国内で一番働きたいと思っている会社でした。それは、あまり大きな会社に行けば、泊まりの仕事が多くなるけど、スカイウェストはそこそこの大きさの飛行機を飛ばせて、ほとんど毎晩家に帰ってこれる、家族持ちにはもってこいの仕事だと思ったからです。また、REXだと勤務地によっては、副操縦の給料では生活がきついのです。まえに社長から、「おまえはどこのエアラインに行きたいんだ?」と聞かれて、「スカイウェスト」と答えたことがありました。社長はどうやらそれを憶えていてくれたそうで、「おれが、スカイウェストで働いている友達に電話して、面接の手配してもらえるか聞いてみるよ、でも面接に招待してもらうように頼むだけで、面接自体がうまくいくかどうかはもちろんおまえ次第だぞ」と言ってくれました。日本人でよかったあ。いろんな仕事を自分で探して、どんな仕事も文句言わずに自ら進んでやると言う、日本人にとっては普通のことをやっていただけなのに、社長は日本人の働きっぷりを気に入ってくれたようで、辞める時も、「いつでも戻ってきて良いぞ」と、いろいろ良くしてくれました。そして数日後、なんとスカイウェストから電話があり、面接に招待されたのでした。そしてその数日後、他のN航空からも面接に呼ばれました。N航空の面接も滑り止めで受けようとしたのですが、面接日がタイミング悪く、1回1500キロ北まで帰ってきてまた1500キロ南のパースへ戻ってと、飛行機で行ったり来たりを2回すると18万円ぐらいかかるのと、何が何でも絶対にスカイウェストに受かってやるという思いがあったので、N航空の面接は断りました。面接は前回の失敗があるので、今回は不安が消え去るほどに準備したので、心配ではありませんでしたが、やっぱり緊張はします。緊張で、しっかり自分の力がだせるかという不安はありましたが、それは、もう、面接の質問に対する回答をいろいろ考えたり、勉強の内容をくりかえしたりと、とにかくひたすら練習するのみでした。
それよりも大変な問題が発生。面接に着て行くスーツがない。今までスーツを持ったことがないんです。そこで、いそいで街に一軒しかない、かろうじて紳士服屋さんといえる服屋にスーツを探しに行きました。そしたらちょうど高校の卒業パーティーらしきものと時期が重なってしまったようで、ちょうど良いサイズのスーツは売り切れでした。仕方ないから取り寄せてもらうことにしましたが、時間がない。けどどうにもならないので、ただ、間に合ってくれることを願うしかない。スーツはなんとか間に合い、1500キロ南のパースへ飛び立ちました。面接に行くだけで、飛行機代と宿泊費、レンタカーなどで9万円ぐらいかかってしまった。
面接当日
2007年5月21日、ついに面接当日、緊張しながら到着すると、もうひとり面接を受けに来ているパイロットがいました。彼は、つい最近シンガポール航空に内定が決まり、ジャンボジェット機を飛ばし始めたにもかかわらず、パースに置いていった家族の為にパースに戻って来たいという理由から、スカイウェストの面接を受けに来たそうです。
担当者が現れ、部屋に連れて行かれて書類を記入した後、シミュレーター室に連れていかれ、もうひとり面接に来ていた彼と一緒にシミュレーターで技能試験をさせられました。これは、想像していたような内容だったので問題なし。そして、休憩室で待つこと約15分、この日最大の難関、航空工学に関する知識を試される、テクニカルインタビュー。マネージャークラスのパイロットふたりによる質問攻め。まあ、なんとか答えられたような気もするけども、すべての力を発揮できなかったような思いのまま終了。第3の難関は人事の人と普通の面接。質問された内容は準備していたものと似ていたので、まあなんとか答えることはできましたが、回答を考えるのに一番苦戦した質問は、「あなたの弱点は何ですか?」と言う質問でした。これは、こっちの面接ではよく質問されるので、図書館で面接に関する本をたくさん借りてきて研究しました。1番良い回答例は、弱点でありながら、今現在克服しようとしている事や、つい最近まで弱点であったけれども、克服したことを、弱点として挙げるのが良いと書いてありました。つまり、「自分の弱点はここであっても、その弱点をこうして克服しようとしているところは自分の強いところだ」、という回答が良いということです。どう考えても日本で育った日本人の自分にとっての一番の弱点は英語でしたが、ただ、英語に弱いと言うだけでもマイナスのイメージになってしまう。英語に弱いと言うことから、どのようにしてプラスに持っていくか、考えに考えたあげく、用意した回答が、「ネイティブではない私にとって、私の1番の弱点は英語です。しかし、飛行教官やチャーターパイロットとして働いてきた経験から、私の英語はパイロットとして充分通用するものだと思っています。それでも、私の目標のひとつは、ネイティブの人と同じぐらいになるように英語を上達させることです」。そして返ってきた質問は、「その目標を達成させるために今していることは何ですか?」。そう返ってきたか。「勉強と練習です」としか返せませんでした。まあなんとか第3関門は終了。最後の難関は、学科試験。コンピューターによる学科試験と、気象に関する試験。やはり、緊張からか、多少の不安は消えません。それでもなんとかすべて終了し、パースで既に働いているパイロット友達たちと、ランチを食べて2時過ぎに飛行機に乗って帰ろうとしたところ、空港のロビーへ向かっている途中で面接合格の電話が!。スマイルが消えません。うれしくて応援してくれたみんなに電話しました。というわけで、パイロットを目指して13年目にしてついにエアラインパイロットになれました。13年と聞いて大変な道のりだと思ってあきらめてしまう人がいるかもしれませんが、パイロット不足の今はもっと簡単にパイロットになれる時代です。自分の場合は、たまたま色弱で、日本ではパイロットになれないし、オーストラリア人でも仕事がない時代に免許を取り、また、住む権利を手に入れるのに時間がかかったので10年以上かかっただけです。
飛行機は大分大きくなって、フライトアテンダントも2人付く50人乗りの20トンを超える飛行機ですが、それでもまだまだプロペラ機。次の目標は同じ会社でそのプロペラ機(Fokker50)の機長、そして100人乗りで海外にも飛んでいるF100とA320というジェット機のパイロットと夢はまだまだ続きます。
今現在での体験はここでおしまい。パイロットの道はまだまだまだまだ続くので続きはまたあとで。それでは、夢見る皆さん、頑張って下さい。夢を見ることを忘れてしまっているみなさん、夢は夢のままで終わるかもしれません。でも本当に夢を叶えたいと思ったときからたぶん脳みそは夢をかなえる方法を考えはじめます。生物がいなかった石ころだけの地球に空を飛ぶ翼を持つ鳥が現れる奇跡がおこったように、強く思いを募らせれば、人間の脳はすごい奇跡をおこしてくれるかもしれません。夢のままで終わるかもしれないけれど、夢をみなければ何も始まらない。体の模様を自由自在に変えることのできる動物がいたり、もともと猿みたいな猿人類が進化して現在のテクノロジーを考え出せたのは、もっと便利な生活をしたいという夢をもったからでしょう。そう考えるとどんな奇跡がおこってもおかしくありません。ただ、夢をもたなければ何もおこらない。
次はエアラインの訓練の様子を紹介します。
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